古くから「文は人なり」と言われ、〈文体〉には書いた人の人間がそのまま出ると言われます。
言い切らずに曖昧な表現の多い人は曖昧な人ですし、言い切りの連続で断定表現の多い人は自信家です。義務教育で〈文体〉というと「常体」か「敬体」かばかりが取り上げられますが、「と思う」なのか「と考える」なのか「と思われる」なのか、「~だ」なのか「~かもしれない」なのか「~であろう」なのか、こうした文末表現の特徴に最初から最後までこだわれる読み手を育てたいものです。
また、曖昧な表現ばかりでなく、大袈裟な表現がないか、情意表現は多いのか少ないのか、抽象論理を積み重ねているのか具体例で印象づけようとしているのか、疑問や反語の連続によって強調してはいないか、読者への問いかけや勧誘によってなにを喚起しようとしているのか、こうしたことに常に目が向く読者こそが国語学力の高い読者と言えます。実は説明的文章を読むことは、このような慣用表現や定型表現を無意識に収集することをも意味します。私たち教師も子どもの頃から数多くの説明的文章を読み、慣用表現や定型表現を身につけたからこそ、現在の文章力が身についているわけですから、子どもたちにも説明的文章をできるだけ多く読ませるべきです。〈多読〉の必要性が叫ばれて久しいですが、多くの提案が文学的文章を対象にしていて説明的文章の〈多読〉の実践はあまりありません。しかし、説明的文章こそ〈多読〉の必要性があるのです。
説明的文章をできるだけ多く読ませる。しかも、それぞれの機会に読み書きの関連指導を意識して、文章表現の機会を設ける。関連指導と言うと筆者の意見を取り上げて自分の意見を主張することばかりが実践されますが、筆者の〈文体上の特徴〉を活かして関連指導に取り組むことも必要なのではないでしょうか。