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Channel: 裕弁は銀・沈黙は金~堀裕嗣.com
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ゆるく設定される到達点

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〈十割主義〉から〈六割主義〉へと転換することは、手を抜くことでもなければ、さぼることでもない。ロープをピンと張るのではなく、少しだけ遊びを残しておくようなイメージの〈戦略的構え〉である。ロープが余裕なく張ってしまえば、そこに人が来ればロープに当たって怪我をする。車が来ればロープは切れざるを得ない。遊びがあることによって、そのどちらも避けられる準備をしておく、そんなイメージの〈戦略〉である。それは相撲で言えば、腰をしっかり落として相手の攻撃に対応できる体勢を取ることを意味するだろうし、野球で言えば、バックホームにもダブルプレイにも対応できる中間守備を意味するかもしれない。

いずれにせよ、その本質は自分本位で猪突猛進するのではなく、相手や状況に応じて臨機応変に動ける体勢をキープしておくことにある。相手や状況と正面からぶつかって腹を立てるのでなく、相手や状況に流されて意に反して漂い続けるのでもない、ちゃんと臨機応変の動きができる準備を事前にしておく、そういう意味合いなのだと理解して欲しい。他人をフォローするにはフォローできるだけの体勢を整えておく必要があるのだ。 

若い教師には、研究授業を例にすればわかりやすいかもしれない。指導案を進めることだけが頭のなかを占めているとき、子どもの予想外の反応に教師は対応することができない。その発言に頭が真っ白になって立ち往生したり、その発言を無視したり、いずれにしてもその子に対応しできたとは言い難い状況に陥る。

しかし、力量の高い教師は指導案は書くものの、その指導案に縛られ過ぎることなく、あくまでもベクトルとして、到達点をゆるく設定している。だから子どもの予想外の反応も自分の授業に取り込むことができるのである。こうしたことができるのは、到達点をゆるく設定するだけの力量があってこその芸である。私の言う〈六割主義〉もこうした力量に支えられた、到達目標をゆるく設定する〈戦略的な構え〉なのだ。


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