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Channel: 裕弁は銀・沈黙は金~堀裕嗣.com
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周りに配慮しながら提案する

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三十代になってくると職員会議で発言力をもち始めます。職員室全体を動かすような提案をすることも珍しくなくなってきます。そのとき、自分の発言が自分だけの趣向、自分だけの正しさに基づいていないかと常に点検する視座が必要です。

例えば、「子どもたちのために」という言葉は職員会議を通すときの一つの常套句です。しかし、この言葉を使う教師にはその裏に「時間と労力を惜しまずに」という思想があります。また、時間と労力を割かない教師に対する批判的な視座がある場合も少なくありません。要するに、時間と労力をかけることを厭わずに何時まででも学校に残って仕事をする、子どもたちのために準備を怠らない、この教師はそうした美学をもっているわけですね。もちろん、自分がそういう仕事の仕方をすることはだれにも迷惑をかけませんから、だれからも批判される筋合いはありません。

しかし、そこに一般性を付与して他の人たちにも強制しようとしだしたら話は別です。時間と労力を割かない教師は、ほんとうに時間と労力を「割かない教師」なのか、もしかしたら「割けない教師」なのではないか……その想像力の欠落した教師には、職員室全体を動かす提案をする資格がありません。もちろん、時間と労力を割けない同僚の先生も、一度くらいならその提案に従うことができるかもしれません。その提案に乗って、予定をやりくりしたりちょっと無理をしたりすることによって時間と労力を割くことができるかもしれません。でも、家庭の事情や健康上の事情というものは、一度無理をするとそれを取り返すのに倍以上の時間と労力がかかってしまうものなのです。

多くの三十代はまだまだ躰に無理が利きます。最近は晩婚化が進んでいますから、まだ家族をもっていないということもしばしばです。自分の親も多くの場合まだ現役で働いていてまだまだ元気です。要するに、健康に留意しながら仕事をやっている先生や、子どもが小さかったり介護を必要とする親がいてなんとか時間をやりくりしながら仕事をしている先生の気持ちが理解できないのです。

ここではこう考えることが必要なのです。この提案はそこまで先生方に無理を強いてまで実現させる意義のあるものなのか、と。そこまでしてでも子どもたちの成長にとって効果の高い提案なのか、と。それは事情のある先生方の力を借りなくても、自分や若い教師たちが少々無理をすれば成り立たせられるような提案なのか、と。これを冷静に考えてみるべきなのです。そして、先生方にそれほどの負担を強いるほどの効果はないと判断されるようならば、或いは一部の教師の少々の無理では成立しないと判断されるならば、潔くその提案は引っ込めるべきなのです。だって、すべての先生方が過剰なストレスにさらされず、笑顔で子どもたちに接することができることほど子どもたちに良い影響をもたらす教育はないわけですから。

しかし、それでも通すべき提案というのはあり得ます。この改革はこの学校を間違いなく良い方向に持っていくとか、いまこの行事に取り組ませ成功させることが子どもたちの大きな成長につながるとか、そういった確信がもてる場合ですね。

こういう場合、私なら職員会議でこう言います。「この提案は子どもたちをかくかくしかじかのように成長させるものと確信しております。いろいろお考えはおありかと思いますが、どうか、ここは曲げてご了承いただきたく存じます。オーバーワークにつきましては、私と若者軍団を中心に取り組みまして、できるだけみなさんに過剰なご負担をおかけしないように致しますので、ここはどうぞ伏してお願い致します」

そして、仲の良い若手に「なあ、佐久間!」などと振るわけです。すると佐久間くんが「はっ、はい!」など言い、職員会議に笑いが起こります。

提案が通れば、あとは事情のある先生方を気遣い、配慮しながら仕事を進めていけば良いだけです。ときには事情のある先生も無理をして手伝ってくれる場合もあります。そんなときには深く感謝の気持ちを抱かなくてはなりません。


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