人は幸せになりたいと願います。私だってあなただって子どもたちだって、みんなみんな幸せになりたいと願っています。
幸せのカタチは人それぞれです。一人ひとりの個性によって幸せはさまざまにカタチを変えます。でも、その幸せのカタチが一人ひとりの個性ではなく、世代によってそのカタチを規定されてしまうとしたら……。そんなことを最近よく考えます。
私は一九六六年生まれ。今年四九歳になります。私たちの青春期はバブル真っ盛り。幸せはお金であり物欲でありイメージでした。街は付加価値のついた商品であふれ、「ほしいものがほしいわ」というコピーが流行するほどに浮かれていました。それが幸せだと信じていました。あなたは現在、二十代。私たちが経験したような浮かれた時代をおそらく生涯経験することはないはずです。でも、そんな物欲に浮かれることをあなたはもはや幸せとは感じない。あなたはきっともう少し地に足のついた、現実的で身の程を知った幸せのカタチを抱いているはずです。
では、皆さんが毎日接している子どもたちは、どんな幸せのカタチを求めるのでしょうか。ちょっと想像力を働かせてみましょう。 お金とか、物欲とか、そうした幸せのカタチを求めると、子どもたちの未来は暗くなってしまいます。もうそんな未来像はこの国にはありません。良い高校、良い大学、良い会社……そんな「出世すごろく」のような人生を求めるのも現実的でない。現在でさえ産業は十年周期で衰退する時代なのです。
では、私たち教師が現在の子どもたちに安定的に保証できるものはなんでしょうか。それは〈人とつながる力〉なのではないでしょうか。私たちが学級づくりにおいて、子どもたちにつながる喜びを体感させてあげられるかどうか、それが子どもたちの将来に大きな影響を与える。いま、そんな責任を私たちは背負っているのだと思うのです。