幸せのカタチ
人は幸せになりたいと願います。私だってあなただって子どもたちだって、みんなみんな幸せになりたいと願っています。幸せのカタチは人それぞれです。一人ひとりの個性によって幸せはさまざまにカタチを変えます。でも、その幸せのカタチが一人ひとりの個性ではなく、世代によってそのカタチを規定されてしまうとしたら……。そんなことを最近よく考えます。私は一九六六年生まれ。今年四九歳になります。私たちの青春期はバブル真っ...
View Article調整役を買って出る
四十代は、三十代と比べて自分の肩にのしかかる責任が違うというのが特徴です。研究主任や教科主任、児童活動主任や生徒会指導主任といった、研究や子どもの活動を司る役職ではなく、学年主任や生徒指導主事、教務主任といった学年や学校を司る役職へと立場が移行していきます。子どもの活動や行事の取り組みについて最終決定をしたり、教育委員会に学校を代表して報告する文書をつくったり、他の教師にクレームが来れば一緒に家庭訪...
View Articleまえがき/あとがき
まえがき教師の武器はたった二つ。即ち「言葉」と「表情」である。その場に相応しい表情を伴った言葉を一般に「語り」と言う。教師は「語り」によって子どもたちを導かねばならない。それが教師の仕事である。学級づくりにおいて、学級担任がこうした自分らしい、それでいて子どもたちの心に響く「語り」を身につけているか否かは、学級経営の成否を決めるほどの重要な要素である。ある教師は穏やかに、ある教師は和やかに、ある教師...
View Articleまえがき/あとがき
まえがき教師の武器はたった二つ。即ち「言葉」と「表情」である。その場に相応しい表情を伴った言葉を一般に「語り」と言う。教師は「語り」によって子どもたちを導かねばならない。それが教師の仕事である。生徒指導や生活指導において、教師がこうした自分らしい、それでいて子どもたちの心に響く「語り」を身につけているか否かは、生徒指導の成否を決めるほどの重要な要素である。ある教師は穏やかに、ある教師は和やかに、ある...
View Article若者をメチャクチャ可愛がる
四十代の勤務時間は自分のために半分、そして残りの半分は周りの先生たちのためにある。このくらいに考えるのがいい。私はそう考えています。四十代の労力は自分のために半分、周りのために半分使われるのがいい。つまり、四十代の時間と労力のうち、自分のために使えるのは半分なのだということです。半分の時間と労力で自分の仕事のすべてをこなさなければならない。そういうことです。自分の学級は多くて四○人。一般には三○~三...
View Article自らを発展途上人と意識する
学級担任の力量はどんな学級をつくったかではなく、どんなふうに子どもたちが育ったかで測られる。どんなに一生懸命に仕事をしても、どんなに愛情をもって子どもたちに接したとしても、子どもたちが育っていなければその教師の力量が高いとは言えない。この原理に反対する方はいないでしょう。その担任が受け持っている間はよい学級なのに、学年が上がって別の担任が受け持ったら荒れてしまう。子どもたちはその担任だからついて行っ...
View Article呑み会を楽しめる頂点はいまである
みなさんは職場の同僚とどのくらいの頻度で呑みに行くでしょうか。呑み会の頻度というのはその職場の文化(と言っては大袈裟ですが)とかかわっていますから、必ずしも多ければ良いとも言えませんし、少ないのが悪いとも言えません。ただ私自身が酒席が好きだということを差し引いたとしても、三十代のみなさんがあまり同僚と呑みに出ていないのだとしたら、少しその頻度を増やしてみてはどうかなとは思います。なぜかと言うと単純な...
View Article雑感
昨日のセミナーがあまりにも良かったので、振り返りをしようとしているのだが、たぶんあの空間は二度とつくれないのではないかと思い至る。確実性があったのは大野さんと山下くんのファシリくらいで、あとはその場の相乗効果がもたらしたという要素が大きかったようにも思う。例えば、模擬授業者に女性3人が並んだわけだが、たぶん無意識的に競い合ったというのがあったはず。負けられないというのではなく、自分だけがへこむわけに...
View Article人生の問題として選び、捨てる
自分で言うのもなんなのですが、私は三十代の前半くらいまではかなり多趣味な人間でした。勤務が終わるとほとんど毎日パチンコに通っていましたし、金曜日に徹夜麻雀をすることもしばしばでした。川釣りが好きで予定のない週末はいつも山に出掛けていましたし、ドライヴが好きで北海道内のいろんなところに行きました。芝居が好きで月に数度は観劇に通っていましたし、映画が好きで年に三十本程度は観ていました。音楽が好きで、CD...
View Articleちょっとした逸脱を愉しむ
いじめはあってはならないと誰もが言います。いじめがあると校長はまず、「あってはならないことが起きた」と保護者に謝罪します。子どもの自殺があっても、記者会見で当該学校の校長や教育行政の担当者は「あってはならないことが起きてしまいました。再発防止のため、全力を尽くします」と謝罪します。もちろんいじめはない方がいいでしょうし、青少年の自殺は文字通り絶対にない方がいいと私も思います。しかし、この校長や行政担...
View Article格差社会が学校を襲う
数年前。宿泊学習の代金支払いのギリギリの締め切り日のことです。明日いよいよ宿泊学習という日、その母親は私の目の前でうなだれていました。今日、支払わなければ娘は宿泊学習に行けない。勤務校は各家庭からの支払いを旅行会社に委託しているので、本当に今日払わなければ行けないのです。代金は一万六千円。数日前に私のところに三千円をもってきて、今日は八千円。自分の親に頼んでなんとか八千円工面してきたけれど、どうして...
View Article〈成長〉より〈成熟〉を目指す
四十代には〈成熟〉が求められます。〈成長〉ではありません。あくまでも〈成熟〉です。このように言うと、「じゃあ、〈成熟〉と〈成長〉はどう違うんだ、説明してみろ」ということになるわけですが、残念ながら私もうまく説明できません。しかし、敢えて説明しようと試みるなら、〈成長〉とは〈できること〉を増やしていくこと、〈成熟〉とは〈できないこと〉を意識しながら〈確実にできること〉を実行していくことと言えるかもしれ...
View Article学校教育にとって教師個人の裁量はどこまで許されるのか
二月上旬。名古屋市内の小学校女性教諭がイスラム国に殺害された湯川さんと後藤さんの写真を授業中に児童に示したと言う。なかには遺体の写真があったとも言う。二十代の若い教師であるらしい。名古屋市教委は即座に謝罪会見を開き、指導が不適切だった、今後児童の心のケアに力を入れると弁明した。当の女性教諭も指導の在り方が不適切であったと認めていると言う。授業の目的はどこまでこうした画像を公開すべきか、報道の在り方に...
View Article教えるべきは徹底して教え、任せるべきは大胆に任せる
二○一三年度のことである。私は学年七学級の学年主任だった。学級担任七人のうち、初めて担任をもつ者が三人いた。私は年度当初、この三人に一切の生徒指導をさせなかった。彼らからみれば、自分の学級の生徒たちを指導事案でさえ、学年主任である私が指導するわけである。その代わり、彼らには常に私の生徒指導場面に立ち会わせた。六月いっぱいくらいまでこれを続けた。生徒指導のモデルを示すためである。また、生徒指導が終わる...
View Articleプロデュースし、ファシリテイトする
札幌市の学年主任は一組の担任をもつのが通例である。副主任は最後の学級、学年の三番手は真ん中の学級を担任する。つまり、この学年は七学級なので、学年主任は一組の、副主任は七組の、三番手は四組の担任になるわけだ。私はこの学年が二年生に上がるとき、学年主任を降りて生徒指導主事になった。いまでは副主任が学年主任に、三番手が副主任になっている。正直に言えば、私の現在の勤務校は地域的に、長く荒れる中学校として札幌...
View Article学力形成派が増えてきた
さて、ここまで、便宜上教師のタイプを学力形成派と人間形成派との二つに分け、それぞれを純化して両者の違いを大袈裟に表してきました。現実には、どちらかに一方的の視点しかもっていないなどということはなく、両者の中間的な位置にいる教師が圧倒的多数です。しかし、両者の視点をバランスよく五分五分でもっているという教師もいないというのも現実です。すべての教師が必ずどちらかに偏っています。6対4とか4.5対5.5と...
View Article「研究集団ことのは」4月例会
「研究集団ことのは」の4月例会。17:00~21:00が終了して帰宅。今日はこの4月の転勤者が4人いたので、新しい勤務校でこの3週間に感じた違和感のレポートを交流。こういうのを話し合っていると、教師個々人の抱いている「当然」がどれだけローカルかということが見えてくる。とても楽しい時間だった。その後、『若者はなぜ「決めつける」のか』(ちくま新書)の読書レポート。課題本自体はあまりおもしろくない本であり...
View Article日本的な基準
僕はいわゆる「がっこのせんせい」の端くれで、学校を職場とし職員室を昼の住まいとしている。これまで札幌市で五つの学校に勤めたけれど、その多くは大規模校と言われる中学校で、二十学級以上の学校だった。二十数学級もある中学校の職員室には、驚くなかれ五十人近い教師がひしめくことになる。長年教師という職業をしていて思うのは、職員室にも厳然とした職員室カーストがあるということだ。それも最近の学校は上意下達で動かさ...
View Article流動性の有無
ただし、職員室や会社のカーストと〈スクールカースト〉との間には一つだけ決定的な違いがある。それは流動性がないということだ。職場なら多少馬の合わない人がいたとしても、営業に出ているときや別のプロジェクトで働いているときにはその人から逃れられる時間がある。職員室に僕を日常的に攻撃してくる人がいたとして、授業をしているときにはその人から解放されるわけで、一日の大半が授業なのだから一日に何分かのその攻撃も我...
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