本書を江部満に捧ぐ。
二十数年前、私が同人誌に書いたたった一本の実線原稿に目を留め、著書の執筆を依頼してくれたのは江部満その人である。昭和から平成にかけて氏は明治図書の大編集長だった。その功績は明治図書出版一社に限らない。氏のプロデュースした「教育科学国語教育」「現代教育科学」の両誌は間違いなく昭和から平成前半の国語教育界をリードした。雑誌をプロデュースするのみならず、国語教育界をプロデュースしたと言ったら言い過ぎだろうか。氏の編集者生活は前半は文学教育を、後半は言語技術教育を間違いなく先導した。事実、氏の炯眼によって世に出た国語教育研究者・実践家のなんと多いことか。
実は、私が本書を江部氏に提案したのは二○○三年のことである。氏に「堀先生、これはすごい。これができたら国語教育を変えられるかもしれない」と余りある言葉をいただいたことをつい昨日のように想い出す。しかし、書けるという想いは空回りするばかり、形になるまでになんと十二年もかかってしまった。本書が形になる前に江部氏が明治図書を退職し、「現代教育科学」が廃刊になるなどとは、当時の私には想像だにできなかった。江部満の企画として本書を上梓したかったというのが本音である。私の筆があまりにも遅かったことを悔やんでも悔やみきれない想いである。
私の国語教師生活も四半世紀が経とうとしている。生活綴り方と一九五○年代の日文協の文学教育の研究からスタートした私の国語研究は、三十代に入ると同時に言語技術教育の観点を導入し、なんとか現代にも通じる綴り方実践と文学教育を打ち立てられないものかとの試行錯誤に明け暮れた感がある。私はかつての生活綴り方や文学教育と、言語技術教育やファシリテーションとをなんとか融合できぬものかといまだに実践と研究を重ねる者だが、此度、自分がそれなりに納得できる義務教育で培いたい言語技術の体系をまとめるに至ったことは、遅きに失したとはいえ万感の想いである。今後、これを基礎として「文学教育」はどうあるべきか、「綴り方教育」はどうあるべきか、そのためにどのような現実的な「言語活動」があり得るのか、そうした提案を創っていこうと考えている。とにかく、ここに中間まとめを提出できたことを素直に喜びたい。
さて、本書は学校現場で国語の授業を担当する小学校・中学校の教師が、国語学力の技術的な側面を曖昧にしたままに日常の授業に取り組み、試行錯誤しながらもときに手応えを得、万全の準備との手応えを得ながらも実際には紆余曲折する、そんな授業づくりを送っている現状をなんとか変えられないかとの強い想いを抱いて執筆したものである。できる限り難解な技術や専門的な技術を廃し、あくまでも日常の授業で使える言語技術に絞って提案したつもりである。しかも、各領域・カテゴリーの技術をそれぞれ二十に抑え、普通の教師が常に頭に入れたおけるだけの数に絞りもした。国語教育研究の専門家からすれば不備不足が多いことは承知しているが、学校現場の国語科授業を具体的に変えるためには、このような方法が良いのだと私なりに熟慮した結果の提案である。国語教育の専門家に御批正いただきたいのはもちろんだが、私がそれ以上に望むのは現場の教師たちに本書を使ってもらうことである。
私は私なりに、この体裁に整えるためにときにはほんとうは書きたいことを抑制し、ときには私自身の実践にはあまり必要としないことに紙幅を割いた。私の国語教育観、私の世界観においては、義務教育の現場教師に必要と想われる言語技術体系を提示したつもりである。本書が毎日の国語の授業づくりに悩む現場教師にとって少しでも力になるなら、それは望外の幸甚である。