教師が発問する。子どもたちが「?」という表情で顔を見合わせる。中には首を傾げる子もいる。教室がどんよりとした空気に包まれる。そのうちに一人が手を挙げる。教室の空気が少しだけ和む。でも、教師は指名しない。一人が挙手しただけで授業を進めてはいけない……そんな思いが教師にブレーキをかける。
子どもたちも気づく。ああ、先生は手を挙げるのが一人だけじゃ授業を進めないんだ……。二人目の子が手を挙げる。まだまだだ……教師は思う。教師の顔色をうかがいながら、三人目、四人目が現れる。重苦しい分気が続く。五人目の挙手が現れたところで、やっと授業が動き始める。「はい。○○さん。」
「はい。△△△だと思います。」
「うーん…なるほど。他に意見はあるかな?」
ああ、○○ちゃんの意見は先生が求めている答えじゃないんだ……。一瞬のうちに子どもたちは理解する。さっきは手を挙げていた子どもたちの手まで下がってしまう。そりゃそうだ。○○ちゃんと同じことを言おうと思っていたのだから。
そもそも先生が訊いていることの意味がいまひとつわからない。先生はいま、主人公の様子を訊いているんだろうか。それとも主人公の気持ちを訊いてるんだろうか……。あ~あ、早くこの沈黙の時間、終わらないかな。早く中休みになればいいな。中休みになれば、昨日のゲームの続きができるのに……。
多くの国語の授業は、こんな感じで進んでいます。もうこれが日常になっているので、教師も子どもたちもこの手の授業に慣れてしまっているのです。
教師もこんな授業が良いとは決して思っていないのですが、教科書を進めるのを遅らせるわけにいきません。活動型の授業を知らないわけではありませんが、それでは時間がかかります。活動型授業は確かに子どもかたちが喜びますが、テストの点数が取れるかどうかも不安です。たまにはいいかもしれませんが、日常の授業はまあこれで仕方ない……そんなふうに諦めてしまいます。
しかし、それではいけません。
何か、この雰囲気を打開する手立てはないのでしょうか。そもそも、あなたは問題意識をもって、この子どもたちの意欲を喚起しない授業の在り方を打開する工夫を真剣に考えてみたことがあるでしょうか。国語の授業は子どもたちのノリが悪いから嫌いだ、国語の授業は難しくて嫌いだ、国語の研究授業なんて絶対に引き受けたくない、そんなふうに思ってはいないでしょうか。
「良い国語科授業の条件」の一つ目。それは何を措いても、「子どもたちの意欲を喚起すること」です。これを真剣に考えてみなければなりません。